ヒーローものは善悪ではなく、強さと弱さ

ヒーローものは善悪でなく強さと弱さなのだと気付いた。

 

それは、舞台『ルーザーヴィル』を観に行ったときのことだった。

~舞台の簡単なあらすじ~

・主人公のマイケルはコンピュータヲタクの学生

・主人公とその仲間たちはコンピュータ間でメッセージのやり取りができるようにしたいと研究中

・悪役の彼は親が会社を経営している御曹子。主人公のクラスメイトで、卒業後は親の会社に就職予定だった。

しかし、デキが悪いので軍隊にいけと言われてしまう。

・親を説得する材料を得るため、主人公の研究成果を盗んで自分のものとして発表しようと目論む

・最後には研究も完成。悪役の悪事も暴かれた。主人公の成果として研究は世に発表されハッピーエンド。

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舞台のお話はざっくりいうとこんな感じの話だ。(何も調べずに書いたので違うところがあるかもです。)

 

物語の中にこんなシーンがある。

主人公の研究仲間であるヒロインキャラを人質に取ることに成功し、ヒロインに研究を完成させるよう作業させる。

その傍らで悪役の彼は、まだ完成しないのか。早く結果を出せ!お前に足りないのは結果だ!的なことを叫び続ける。

 

そのシーンを見て、「これ、自分と同じじゃん」と思った。

悪役側に共感してしまったのである。

そこからはなんか、悪役の彼のことが心配になってしまい複雑な気持ちになってしまった。結局軍隊行きだったのだろうか。一緒に悪やってくれた二人はどうしたんだろう。物語の中では、悪事が暴かれたあと彼がどうなったか描かれることはなかったのでわからない。

なので最後ハッピーエンドでみんな喜んでるシーンもなんか盛り上がれなかった。

 

私は仕事でも(プライベートでもそうだが…)、よく答えばかりを求めてしまう。「これは結局どうしたらよいのか?」ざっくりと言えばそんなことばかり聞いてしまう。自分の考えを持てとは新入社員によく言われることであるが、それがいまだにできていないということになる。自分でもほんとうにどうしようもない奴だと思う。クビになるんじゃ…と心配してみたりするほど。そんな自分の姿と劇中のシーンを重ねてしまい、「いや…これは自分もやってること一緒やん…」と。

 

物語の中の悪役も、ヒロインが必死に研究を進める傍らで、はやく結果を出せと喚くのだ。研究結果を自分のものとして発表するために。

でもそれは、試行錯誤や考えるといった努力を他者に押し付け、最後の結果だけを得ようとする行為だ。俗に言う「横取り」というやつである。

 

・結果を急ぎ、結果だけを自分のものにしようとすること。

・自力では成果を挙げられないので、他者の成果を横取りしようとすること。

その2つは典型的な悪役像として、何ら違和感がなかった。

(さらに物語の中の彼は、研究結果を盗み出すために騙しもやっている。ほんとどうしようもない奴だった)

きっと古くから悪役の働く悪事のパターンとして王道なのだろうと思ったと同時に、これは人間の弱さなのではないか?と客席で考えていた。みんなは今更そんなこと言ってるのか?って思うのだろうか。実は私が気づいてなかっただけで、周知の事実だったのだろうか。

悪役視点のスピンオフ作品が人気出るのもなんか頷けた。

 

勧善懲悪

悪役をヒーローがやっつけて、ハッピーエンド。

あぁ、純粋にヒーローを応援していたかった。

アンパンマン頑張れ!って素直に応援していたかった。

この場合アンパンマンが善で、ばいきんまんが悪になるのだろう。

 

アンパンマン』も同じで、ばいきんまんは村人を脅し、あの変な機体で力づくでものを取り上げたりする。分けて欲しいと交渉することや、貰えなかったときに我慢することができない故の行動なのだろう。そんな至らなさ、弱さをばいきんまんにも連想してしまった。真っ先に思い浮かんだ悪役の代表格だった。でも、あいつだってほんとは仲間に入れてもらいたいよな…。

 

しかし、どんな事情があれど悪役の行う行為は許されることではない。

アンパンチで吹き飛ばされ、姿を目撃されただけで悪事を企んでいると思われ、みんなから疎まれる。

最後には悪事は成敗され、地道に頑張ってきた主人公たちがハッピーエンドを迎えるのだ。

 

そんなことわかっている。

悪役に共感するようになってしまった今、物語を見る事がつらくなってきた。

自分の弱さを見せられるような気がする。

いつからこんな人間になってしまったのだろうと、今回とは関係のない自分の欠点まで思い起こされる。主人公側のように強く正しく優しくいたかった。悪役だって好きで悪をやってるわけではないのだなと悲哀のようなものまで感じ始めた。

 

でも結局どうしたらいいのかも分からないし、物語から何を得たらいいのかがわからなくなってしまった。

新たな気付きを得て、今は途方に暮れているだけだ。